はれるでしょう。






 猫は憂鬱な顔をしていた。

「おい、識子。しっかりやってくれよー」
「うるわいわね、私だって困ってるんだから」
 歯医者さんがしそうなマスクで武装した識子が愚痴りながら櫛を動かす。
 この季節は大変だ。
 なんせ、猫又とはいえ鑑太の毛はいまだ生え変わる。
 普段なら抜けるに任せ放って置くのだが、今の飼い主である識子――鑑太は自分の方が保護者だと思っているが、人間社会の法ではそうなることもわかっている――がそれでアレルギーを起こしかけていた。
 じめじめした空気が鼻を濡らす。
 一昨日、識子が作っていた照る照る坊主が、窓先で揺れている。
「おまえ、猫の体梳いたことないのか?」
「普通ないわよ、猫飼ってでもない限りは」
 時々、妙に力任せに引くと思ったら、やっぱりか…
 そう、遠い目をしながら呟いた。
 このままでは、ヒゲを切られるのもそう遠い日ではないかもしれない。
 偶の休み、夜の間に撮り溜めた格闘技のビデオを見た後のわりとだるい朝。
 梅雨の空は鬱陶しくどんよりしていて。
 人間はこれくらいのことで不機嫌になる。
 この窓から見た200年分の空、いくらでもこんな天気はあったというのに。
「なー、識子」
「何よ?」
 妙にいらいらした様子の、まだ大人になりきれていない女の。
 自分の毛よりもよっぽど面倒くさそうな長い髪をくしゃくしゃにかき回した。
「痛い痛い!何するのよ?」
「昼から散歩に連れてけ」
「命令形?いやよ、こんなに雨降ってるのに」
 少し涙目のまま、照る照る坊主を睨む様子は少し笑えた。
「じゃあ晴れたら連れてけ。炭酸抜きのビール用意しとけよ」
 そう言うと、窓の桟へとひらり飛び移った。
「あ、こら鑑太!まだ逃げちゃ駄目!」
「その辺で毛づくろいしてくるっての…」
 このままじゃ何時ヒゲを切られるかわかったもんじゃない。そう悪態をついて大あくび、ひとつ。
「ま、ちょっくら天神様にでも掛け合ってくらぁ!」
 こんな日も、あっていいだろう。
 天気ひとつでわがままな女の機嫌が直るなら、安いものだ。
 しとしと降る雨の中、鈴の音だけが軽快に走り去っていった。