ハートスランプ二人ぼっち
いつもの小鳩亭の2階、南向きの窓からうららかな日差し。
小さなイチゴが乗った白いケーキ。ミルクティーのふんわりとした甘い匂い。
それはなんだか不機嫌な顔で私の元へやってきた。
「で。コレは何ですか!」
私は期待に満ちた瞳で、目の前で気障ったらしく髪を掻き上げる人を見上げた。
どこか不安そうな様子が気にかかるのだけど。それよりもこの嗅覚をくすぐる甘い匂いがたまらなくて、おもわずヨダレが出そうな口元を拭う。
「いつからそんな疑うような口調で輝くマナザシを向けるという器用な真似が出来るようになったんだ」
「美味しそうで美味しそうで、今すぐにでも食べちゃいたいくらいなんですが、素直に受け取るのが危険な気がするんです。機嫌が良い訳でもないのに、突然ケーキをくれるだなんて」
「たいした意味はない。単にラヴェルナ導師に持って行って食えと言われただけだ。オレサマとしては一人で平らげちまおうかとも思ったが、馬鹿正直な妹分が何かの間違いでラヴェルナ導師と会ったりしたら口を滑らしかねん」
「自分で買ってきたわけじゃないんですね、ヒース兄さん」
大きくため息を吐く私の目の前には、かわいらしいショートケーキ。この胡散臭い兄――実兄ではない――の遥かなる上司(?)とは、アレ以来奇妙な縁が続いている。何が面白いのか、私に兄さんを焚きつけようとしているみたいです。なんだか今は、クラウスさんに会った時のマウナの気持ちが良くわかります。ごめんマウナ。
もう一度、大きなため息。ああ、幸せが逃げて行っちゃいそう。
大体にして、この意気地と根性のナイ人を焚きつけたところで何がどうなるわけでもないのに。
ケーキをさっくり、フォークで一口大に。なんとなく、悪戯心が沸いた。
「兄さん、はい、あーん」
にっこり笑ってフォークに刺したケーキを差し出してみるも、ぺちっと額を叩かれた。
「かわいいことしてるんじゃない」
は?
目が点になる。見上げると、至って普通な顔の兄さんと目が合う。
顔が、熱い。
「な、何を言うんですか突然邪悪ですか邪悪ですね!?」
兄さんは顎に手を当てて少し考えるようなそぶりを見せたあと、真剣な顔で聞いてきた。
「オレサマ今何か変なこと口走りマシタカ」
「口走りました」
こくりと頷いたまま、その顔を私、上げられない。
絶対赤くなってます。こんな顔、見せられません!
「ふぅむ……」
そのまま顎を撫で擦る兄さんの様子を伺い見る。
……手、大きい。私の手よりも、ずっと。
それに、めんどくさがって切ろうとしない髪と裏腹に、日々しっかりと剃刀のあてられている顎には剃り残しもない。
長めだけどがっしりしてる首から、意外に筋肉質な肩へのラインが。
ってこら、何を、私は。
頭を過ぎった考えを振り払うように、ぱくりとケーキに噛み付く。
上質なクリーム特有の、上品な甘みが口の中にふわりと広がる。
美味しい。
もう一口、とフォークで切り分け、さあ口へ運ぼうというときに、兄さんが顎から手を離し、口を開いた。
「いやな、イリーナ。実はそのケーキ、何かのクスリが入ってるんだが」
その手で当たり前のように、私がまだ口をつけてない紅茶をすする。
「……。」
思わず、私の視線はフォークの先にあるケーキの欠片へと吸い寄せられる。
「で……。今日、ここにこのケーキを持ってきて、私に食べさせようとした理由は何なんですか?
事と次第によっては、風林火山DEヒーリングかグレートソードDEヒーリングのどちらのコースがいいかぐらいは、選ばせてあげます」
顔を上げて、極上の笑顔を向ける。
兄さんの額に、冷や汗らしきものが流れている。
「いやあれだラヴェルナ導師の超重要書類が心当たりはないんだがオレサマの、や、僕のミスで紛失しましたそうでして――!毒じゃないから持ってって怪力の幼児体型小娘にでも食わせよとのお達しがですね――!?」
だんだん兄さんの声が裏返っていく。
面白いから、ほっておく。
「で。何のお薬だと思われますか、賢い兄さん?」
ごくり。ヒース兄さんの喉仏が上下する。唾を嚥下する音が、外で遊ぶ子供達の笑い声だけが響いてた部屋に生まれて、消えた。
「ラヴェルナサマから、イリーナサマへ、手紙を預かっております――」
ひっくり返りきった裏声。怯えてる兄さんが、少し楽しい。
恭しく、畏まりながら手渡された上品な封蝋の押された手紙――ただし、宛名書きは楽しそうな字で『アルラウネのママ、ナイチチの小娘へ』と踊っている――
私の手の中で、ペーパーナイフを使ったのにビリリリと豪快な音を立てつつ封が開く。
そこに書かれた、共通語の文字。少しだけ戸惑いながらも目を通す。
手紙の内容に、さっきからの兄さんに様子を思い出して、納得して、苦笑。
全ての、ネタバラシ。
どうせ判らないだろうから季節の挨拶とかは省略する、という一文のあと、本当に何の前振りもなく本文が書かれていた。
兄さんの食事に同じ薬を混ぜておいたこと。その薬の効能。
うん。ホント。
そんな焚きつけなくても、大丈夫ですよ、ラヴェルナさん。
「えーと、いりーなさーん?なんて、書かれてますかー?」
笑い出しそうになるのを堪えて、思いっきりしかめっ面を作ってみせる。
「わかりました。今回は、ラヴェルナさんに免じて、許してあげます。
兄さんは、自分一人が薬の犠牲になるのが寂しかったんですよね?」
「そんなことあります!」
顔は否定してるのに、言葉は思いっきり真逆。本人は気付いてない。ちょっと、いやかなり、笑える。
フォークに刺したままのケーキをぱくり。
視界の隅で、兄さんは「本当に毒じゃないのか……」なんて呟いてる。
「ねえ、兄さん?私のこと、好きですか?」
「へ、はい!?いやそれはそうだが、何を突然!?」
ああ、もう。可愛い。
「だめですよ。兄さんがそんな調子じゃあ、私から『愛してる』なんて、言ってあげられないんですからね」
そう言って、私は笑った。
【ライアー・ピノッキオ】
知名度17、毒性値19
強力な自白剤として作製したはずが失敗したもの。
嘘は言えなくなるが、婉曲な表現で誤魔化すことはいくらでもできる。