手のひらを太陽に






 一人でいると、なんでこんなに、さみしいんだろう。
 指で作った檻から、そっと光を解き放つ。
 私の呼吸と同じくらいのリズムでゆっくりと明滅する光。
 他の光たちとともに、さっきまで手の中にいたソレも、優雅に川縁を舞う。
「ありがとう、イリーナちゃん」
 あの時おじいさんは、そう言って、笑った。



 神殿には、いろんな人が来る。
 今日まで一度も嘘をつかずにいれた幸せを感謝する人。
 昨日、誰かに嘘をついてしまった人。
 ずっと昔ついた嘘を、今も悔やんでいる人。
 今日までの幸せが明日も続くことを祈る人。
 明日から、今までより幸せになれるよう祈る人。
 いろんな人。ヒト。ひと。
 私、イリーナはその神殿で司祭の娘として生まれました。
 まだ幼くても、立派に「ふぁりすのおしえ」を守ろうと日々邁進する少女に、神殿に訪れる人々は皆、優しかったです。

 あれは、初夏のこと。
 まだヒース兄さんが、おばさまに連れられてファンの街に来ていた頃のこと。


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「おんやまぁ、ずいぶん小さな司祭さまじゃのぅ」
 おじいさんはしわくちゃの手でわたしのあたまをくしゃくしゃとなでました。
 わたしは、とうさんのぼうしであそんでいたのです。
「キリング司祭に御用の方ですか?」
 おじいさんのようすをみて、ヒースにいさんがちょっとおとなみたいなことを言います。
 あ。
 ヒースにいさんに、ぼうしをとりあげられてしまいました。

 ひとことふたこと、おじいさんとはなしてから、にいさんはおくのへやにおとうさんをよびにいきました。
 わたしは、おじいさんのもっていたかごをみて、びっくりしました。
 そこには、なんびきかの虫さんがいたのです。
「おじいちゃん、これなんの虫?さかなのえさ?」
「まあ、お嬢ちゃんくらいの年じゃあ、よォわからんくてもしゃあないのぉ」
 おじいさんは、ほっほっほとわらって、そんなことを言いました。
 ・・・しつれいです。れでぃにむかって。
「おじょーちゃんじゃないです、イリーナです」
 さいきん、じぶんのナマエをきちんといえるようになったんです。もう『いいーにゃ』じゃありません。
「イリーナ。こっちにおいで。おじさんたちのジャマになっちゃいけない」
 おとうさんがきました。おじいさんがおとうさんにエシャクします。ヒース兄さんがわたしをおくのへやにつれていこうとします。
 もしかしたら、にいさんならこの虫さんをしっているかもしれません。
「ヒースにいさん、この虫さんはなんですか?」
「虫?……なんだっけ、これ」
 なんだかみたことあるような。そう言ってにいさんはくびをかしげてしまいました。
「ホタルですね。どうされたんですか?これは」
 とうさんがかごをみて、おじいさんにはなしかけました。
 おじいさんはなにやらおとうさんにはなしだしました。
 でも、なにを言ってるのか、わたしにはさっぱりわかりません。
「この虫さん、ほたるというのですね」
「ホタル……って、昼に見ると、こんなかんじだったのか」
 にいさんはなんの虫なのか、わかったみたいです。
 わからないことがくやしくて、わたしはすこしむっとします。
「この虫は、夜になったら光るんだ。そんなに明るくないけどな」
「ひかる?」
 ひかるって、虫さんが?どうやって?
「ひかるの!?」
「こら、いいーにゃ!」
 びっくりしておおきなこえをだしたわたしを、ヒースにいさんがあわててとめようとしました。
「だから、いいーにゃじゃないです。イリーニャです。……あれ?」
 そのようすをみて、おじいさんはにこにこしています。
 おとうさんは、なんだかこまったようなかおをしています。
 ……わたし、なにかこまらせるようなことをしてしまったのでしょうか?
 おろおろしてしまいます。とうさんはしばらくわたしをみてから、またおじいさんにはなしかけました。
 こんどは、いみがわかりました。
「どうでしょう。この子供たちと一緒に、近くの土手まで行くというのは?」
「ほ。そいじゃが、この老いぼれに、そこまで行けるだけの体力がありゃせんと思うがの……」
「なに、私も同行しましょう。……それに、子供の足なら、今から行ってもあの辺りにつく頃には夕刻になるでしょうからな」
「……なるほど。司祭様、よぉくわかりよした。そういうことじゃったら、私もちょーいと、歩いてみましょうかの」
 そう言ってわたしをみるおじいさんは、めをほそめていて、なんだかとてもうれしそうでした。


 まっかなおひさまが、やまのあいだにかくれていきます。
 おひさまのかくれんぼのことを、『ゆうひ』とか『ゆうやけ』と言うんだそうです。
 こんないろのそらになったら、おうちにかえらないといけません。
 でも、きょうはとくべつだって、とうさんが言ってました。
 だから、ヒースにいさんといっしょにあるきます。
 うしろから、とうさんと、おじいさんもついてきます。
 ときどき、とうさんは「つぎをみぎ」とか言います。
 みぎってどっちか、わたし、ほんとうはまだよくわかりません。
 そんなときには、ヒースにいさんと手をつなぎます。
 ヒースにいさんはさっきから、わたしのナマエをくりかえしています。
「い、り、ぃ、な。ほら、言ってみ?」
「いー、い、な」
「違うよ。い、り、ー、な。」
「い、いー、にゃ!」
 うー。またナマエを言えなくなってしまいました。
 きっとヒースにいさんのおしえかたがわるいにちがいありません。


 おつきさまとおほしさまがそらにうかんでいます。もうよるです。
 さっきまでゆうひだったのに。よるとひるのあいだに、ゆうひがあるんですね。
 そんなことをおもいながら、くさのはえたどてにすわります。
 おじいさんとおとうさんも、よいしょとばかりにこしをおろしました。
 さっきからきになっていた、おじいさんのかごに、よつんばいになってちかづいてみました。
 ……なかの虫さんは、虫さんです。
「ひかる?」
 とうさんはわたしのあたまをわしわしとかきまわしました。
「光るよ」
 おじいさんは、すこしさむいのでしょうか。すこしむこうをむいて、こんこん、せきこんでいます。
 しんぱいになっておかおをのぞきこんだわたしに、おじいさんはわらいかけてくれました。
 そのときです。
「イリーナ、光ってる!」
「え!?」
 ヒースにいさんのこえに、わたしはかごにかけよりました。
 かごのなか、虫さんには、かわりがないようにおもいます。
 くちびるをとがらせてにいさんをにらむと、おかあさんゆびをくちにあてて、「しー」のあいずをしました。
 そのゆびが、かごをさします。
 みると、あ、あ!
「ひかってる!」
「な?光っただろ」
 きみどりいろとか、そんなかんじにもみえるひかりが、虫さんのおしりのほうにぼんやりくっついています。
 でも、「いろ」じゃありません。ぼんやりひかるたびに、よこのヒースにいさんのおかおがみえるくらいには、あかるくなるのです。
 そんな虫さんが、かごのなかにいるのです!
 そっと、ひかりに、ゆびをのばしてみます。ぜんぜんあつくありません。
 おとうさんが、おじいさんになにかをうながします。
 おじいさんはゆっくりうなずくと、かごをあけました。
 ふわり、ふあり。
 ひかりが、虫さんのとんだあとについていきます。
 びっくりして、おもわず、虫さんを1ひき、りょうてでつかまえてしまいました。
「こら、イリーナ」
 とうさんにこつんとあたまをたたかれます。でも。
「……イヤ。虫さん、いいーにゃ、ほしい!」
 てのなかをのぞきこむと、そこにちいさなおひさまがあります。
 『ひる』と『ゆうひ』と『よる』をくりかえす、ちいさなちいさなおひさま。
「イリーナ、そうは言ってもな。ホタルってのは、すぐ死んじゃうんだ」
 ヒースにいさんがわたしのてをひらこうとします。
 やだやだやだ!
 これはわたしのです!
「しんじゃわないです!おひさまです。いいーにゃの、おひさま!」
 めに、なみだがうかんできます。
 どうしてそんなこと言うの?ひかりがしんでしまうはずがないのに。
 いま、わたしの手のなかで、この虫さんはひかっているのに。
「お嬢ちゃんよぉ……離してやんさいな」
 おじいさんまで、そんなことを言うの!?この虫さんをつれてきたのは、おじいさんなのに。
 なみだがぽろぽろこぼれます。わたしはおじいさんをぐーっとにらみつけました。
「このじいちゃん家の裏になぁ、川があったんじゃぁ。その川ぁ、来年の今頃にはもう、潰して、のうなってしまうでなぁ。
 この爺にも、蛍たちが不憫でならんで、司祭様に、どうしたもんか、相談しに来たんじゃ。
 あー……いかん。うっかりすると、説教くさぁなってしまうの。
 ……そうじゃのォ。お嬢ちゃんは、大きくなったら、どうしたい?」
 とうとつなしつもんに、おじいさんがなにを言いたいのか、わたしにはよくわかりませんでした。
「……かみさまに、おつかえする、つよいひとになりたいです。」
「ほぉか、ほぉか。
 その虫たちはの、大きくなって、光っていたいと思ったんじゃなぁ。
 ……お嬢ちゃんには、まだわからんかもしれんの。生き物はみーな、いつかは死ぬ。死んでしまう前に、なんとかして、光ろうとする。蛍に限らんでも、の。
 お嬢ちゃんは、そうやって頑張って、光ろうとする蛍を、閉じ込めてしまうんかね?」

 ほんとうは、なにをいわれているのか、むずかしくて、よくわからなかったです。
 でも、なんとなく、わかったことがあります。
 わたしは、おおきくなって、かみさまにおつかえするのを、じゃまされたら、かなしいです。
 たぶん、きっと、ものすごく。
 だから、手を、はなしました。
 手のなかのおひさまは、ふいっと、わたしからはなれていきました。
「ありがとう、イリーナちゃん」
 そう言って、おじいさんはわらいました。


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 翌年、そのおじいさんは亡くなりました。
 おじいさんの言っていた通り、その家の裏手の川は、息子さん夫妻が新しくお店を建てるからと、潰してしまわれました。
 私はあのときの土手で一人、川の水に足先を浸しながら蛍を見ています。
 昼間は痛いほどに照りつけていた太陽は、今、どこにいるのでしょうか。
 どれだけの時が経とうとも、きっと忘れないだろうと思っていたあの日の蛍の光の色を、今はなんとなくにしか思い出せません。
 後ろから、気配を隠さない足音が近づいてきます。
 よっこらしょっ……と。
 だるそうな掛け声をだしながら、ヒース兄さんは私の隣に座りました。
「懐かしーな。蛍か」
「おひさまです。私の」
「まだ言うか、この、いいーにゃ」
 そう言って笑うヒース兄さんの肩に、私は頭を預けました。
 背中を抱くようにして髪を優しく撫でてくれる、その感触を楽しみながら、私は舞い飛ぶ柔らかな光へと手を伸ばしました。
 もう、さみしくなんかありませんでした。